2006年10月11日

庄屋源吉(しょうやげんきち)

 源吉は、今からおよそ二百五十年前、高足村(高師)の庄屋の家に生まれた。十八歳の時、村人たちに推されて庄屋となった。その頃、たび重なる飢きんや洪水などの水害にあい、穀物などの蓄えも底をついた。そのうえ、木の枝一本たりとも自由にならず、お上からの年貢のとりたては厳しくなるばかりだった。
 
 ある時、たまりかねた村人は、年貢をまけてもらうしか生きていく道はないと思いつめ、源吉のもとへやってきた。
「お役人さまに年貢を免じてくれるように頼んでくだせえ」「でないと、おらたちゃあ、むしろ旗を・・」と言いかけた時、源吉は、村人の言葉をさえぎり、
「それ以上いうな。みなさんの苦しみは私の苦しみだ。任せてくださらんか」と低い声できっぱりと言った。

 源吉は、近隣の村々の庄屋に相談を持ち掛け、みんなで藩主・松平氏に年貢を免じてくれるように申し出た。役人は、これを許さず、
「けしからん。藩主が免ずると申さぬに。さらなる訴えは、お上の命令に背くもの。獄に入れるぞ」とおどしたので、他の藩主は願いを取り下げてしまった。

 源吉は屈することなく、
「死を恐れて、どうしてこのお願いができましょうや。願いが取り上げられないのなら、臨在寺山(りんざいじさん)(吉田藩の死刑執行場)へお連れ下さい」
と言いきった。そればかりか何度も足を運んで訴えつづけたので、藩主は、検見(けみ)をするように役人に命じ、「年貢百三十八石を減じる」という知らせを届けた。

 村人の喜びもつかの間、源吉は命令に叛いた(そむいた)罪で死刑を宣告され、牢獄に入れられた。源吉の後を追っかけた村人は、
「庄屋さまを死なせてなるもんか。待っていてくだせえ」
と叫んだ。知らせを聞いて駆けつけた村人たちは、
「今こそ、おらんとうが立ち上がる時だ。みなの衆、心を合わせましょうぞ」
と固く誓いあった。その足で悟真寺(ごしんじ)・龍拈寺(りゅうねんじ)・東別院三坊(ひがしべついんさんぼう)の和尚さまと連れ立って役場に行き、源吉の刑を減らすよう懇願した。村人たちの強い気持ちが通じたのか、源吉は五年後に許され、村へ戻って来た。だが、長い獄中暮らしのため病の床に伏してしまった。
「もう三年も寿命があったら畑租(はたそ)を減らしてもらって、村の衆をもっと幸せにできたであろうに。それができないのが心残りだ」
といい終えると源吉は目を閉じた。この時、源吉はまだ二十五歳だった。


豊橋・高師・芦原校区の民話
ラベル:豊橋
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2006年08月27日

民話「二ノ午大祭の絵馬」の背景を訪ねて

東観音寺.jpg

民話「二ノ午大祭の絵馬」の背景として登場する、豊橋市小松原町にある古刹、東観音寺(とうかんのんじ)を、訪ねました。

東観音寺は、天平5年(724年)に、行基が創建したと伝えられる寺で、本尊は、開運馬頭観音です。

馬頭観音は、畜生道に落ちた人の苦しみを救うための姿を現わした観音さまだとされ、今日では、交通安全の守護仏として、厚く信仰されています。

この寺では、民話に出てくるように、毎年、旧暦の2月の「二の午」の日に、「二の午大祭」が開催されます。
この日、開運馬頭観音をお参りに訪れた人たちは、絵馬札を守護救済のお守りとして持ち帰るそうです。


また、東観音寺には、国指定重要文化財3点(多宝塔、木造阿弥陀如来坐像、金銅馬頭観音御正体)をはじめとする、60点あまりの仏像や絵画、古文書などを収蔵しているようです。

ちなみに、3点の国指定重要文化財は、こちら。

「多宝塔(たほうとう)」

多宝塔は、明治40年5月27日に、国の重要文化財に指定された、豊橋市内唯一の国指定建造物で、大永年間(1520年ごろ)戸田氏の重臣であった藤田左京亮によって寄進されたものといわれています。


「木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)」 

この阿弥陀如来坐像は、平安後期の定朝様(じょうちょうよう)の仏像で、鎌倉時代初期に造られたそうです。
高さ138cmの、檜を用いた寄木造り。漆の上には金箔ほどこされています。


「金銅馬頭観音御正体(こんどうばとうかんのんみしょうたい)」

この金銅馬頭観音御正体は、直径34.3cmの光背円板上に、約27cmの金銅製半肉彫の馬頭観音坐像を浮き出させたもので、懸仏(かけぼとけ)と呼ばれるものです。
馬頭観音は、水陸交通安全の守護神で、当寺の懸仏に彫られた馬頭観音は三面六臂(さんめんろっぴ=一体で三つの顔と六つのひじを備えていること)のものです。


<おまけ>
御衣木−行基が本尊「馬頭観音」を刻んだ残りの木です
御衣木

三十三観音?(どうも34体あるような・・・)
三十三観音?

池では、ハスが咲いていました
東観音寺のハス

【小松原山 東観音寺】
所在地 豊橋市小松原町字坪尻14 
ラベル:民話
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二ノ午大祭(にのうまたいさい)の絵馬

 江戸時代のこと、三河国(みかわのくに)、小松原村に、働き者の惣吉という男がいた。惣吉は、毎日、畑に出て一生懸命に野良仕事に精出しても、女房や十人の子どもたちに満足に飯を食わせてやることもできなかった。村人たちは、惣吉のことを

 村の惣吉ゃ働き者よ 畑は耕せど 実はならず
 なぜか子宝に恵まれて ひーふ−みーよー
 いーむーなー やっつ ここのつ とどめの留よ
 それでもとまらず 十番目は末吉さ

などと囃し歌(はやしうた)をつくり、歌われるほど子宝に恵まれた。

 惣吉は、畑を耕し、種まき、草取り、肥えやりと、毎日せっせと働いた。また、新しい畑を作ろうと荒れ地を耕した。けれども、痩せた畑では野菜は育たず、開墾もはかどらず、このままでは家族を養っていけないと、大切にしてきた家宝の「壷」を手放し、農耕馬と交換した。

 馬を手に入れた惣吉は、(これで農作業もはかどるぞ)と喜んだのもつかの間、頭を抱え込んでしまった。馬はとんでもない暴れ馬で、馬屋につないでおけば手綱を引きちぎり、馬屋を飛び出し、惣吉の畑どころか、地主の畑や隣近所の畑まで荒らしてまわっていた。そんな日が幾日も続き、困り果てた惣吉が途方に暮れていると、埃(ほこり)まみれの衣を身にまとった旅の僧が現れ、惣吉に声をかけた。
「これ百姓、お前の悩みを解き明かすには、東観音寺の馬頭観音にお願いするがよいぞ。」
と静かに言うと、経を唱えながら東の方へ去っていった。

 惣吉は藁にもすがる思いで東観音寺を訪ねた。東観音寺には、馬頭観音があった。

 惣吉は和尚に、ことの一部始終を話した。すると和尚はニコニコ笑いながら、
「そりゃあお困りじゃのう。馬頭観音さんに絵馬札を奉納し、お参りなさい」
と言われた。惣吉は絵師にお願いし、立派な絵馬を描いてもらい、大きな絵馬札を奉納した。そして、毎日、馬頭観音を参拝したが、暴れ馬は一向に静まらなかった。

 惣吉は、再び和尚に相談した。すると、和尚は惣吉が奉納した絵馬札を見ながら、
「馬が暴れるのをやめない理由は、この絵にあるのじゃないかな」
と言う。惣吉は、奉納した絵馬をじっと眺めていたが、やがて絵馬札を取り外すと絵師の所に走り、立派な絵馬に負けないくらい立派な手綱を描き加えてもらった。それを奉納すると、暴れ馬が静まるようにと和尚に祈祷をしてもらった。

 それから、暴れ馬が嘘のように静かになり、よく働いた。働き者の惣吉と、馬が一緒になって農作業に励み、子だくさんの惣吉一家の暮らしも、日に日によくなり、家族みんなが馬を大切にした。

 惣吉が奉納した絵馬札が、「二ノ午大祭」の絵馬札となっているか定かでない。

豊橋・小沢校区の民話
ラベル:民話
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2006年08月20日

民話「石造り観音」の背景を訪ねて

正光寺(しょうこうじ)
民話「石造り観音」の背景として登場する、橋良の正光寺(しょうこうじ)を訪ねました。

正光寺については、
福岡小学校のサイト「言い伝え」のページに、
民話とともに、言い伝えの舞台となった地の地図もありました。

正光寺の三十三観音

民話のとおり、門前には石造りの三十三観音が並び、
その真ん中に、石造り観音が安置されていました。

石造り観音

正光寺(しょうこうじ)は、福岡小学校の前身「橋良(はしら)学校」があった場所だそうです。
明治7年に、「橋良(はしら)学校」ができ、正光寺の朴道和尚もそこの先生になったということです。

福岡小学校のサイトを見ると、
この地域には、民話や言い伝えが数多く残っていることがわかります。

「地域の歴史を子どもたちと考える」って、いいな〜と感じました。
ラベル:豊橋
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2006年08月18日

石造り観音

 昔、橋良(はしら)の村に働き者の五助(ごすけ)という百姓がいた。とても器用な人で、田畑の仕事の暇を見つけては、藁草履(わらぞうり)を編んだり、竹でざるを作ったり、板や角材で梯子(はしご)や箱、机などを上手に作り、それらを安い値で村人たちに売っていた。村人たちは、五助の作った物は丈夫で長持ちすると喜んでいた。

 朝早くから夜遅くまで働きづめで、とうとう五助は足が痛むようになってしまった。膏薬(こうやく)を貼ったり、あんまさんに掛かったり、いろいろやってみたが、何の効果もなく一向によくならなかった。
「おれは、働くだけがとりえで、信心がたりなんだ。今日からは朝晩お参りをしてなんとか足の痛みを治してもらおう」
と毎日熱心に神棚や、仏壇にお参りをしていた。

 そんなある夜、夢の中で不思議な声が聞こえてきた。
「お前の足を治すには、草に埋もれている観音さまを掘り出し、供養することじゃ」
とお告げがあった。

 驚いた五助は、翌日から痛む足を引きずりながら、何日も村のあちこちを捜し廻ったが、なかなか見つからず、困りはてて座り込んでしまった。その時、ふと昔あったお寺の場所を思い出した。

 ようやく、お寺の跡地の草むらから、観音さまを見つけ掘り出した。
「ああ、もったいないことじゃ、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ・・・」

 五助は、泥だらけの観音さまを、きれいな水で頭、顔、体と丁寧に洗ってあげた。そして、その地に小さな祠(ほこら)を作り、毎日観音さまにお花やお線香を供え、お参りし、以前にもまして信心するようになった。すると、いつの間にか、お告げどおり痛んでいた足がすっかりよくなっていた。

 観音さまの噂は、たちまち村中に広がり、大勢の人がお参りするようになった。村では立派な観音堂を建て、観音さまを大切にお祀りした。

 その後、この地に公園が作られ、観音堂は壊されてしまった。観音さまは、村人たちの手で正光寺(しょうこうじ)に移され、門前の三十三観音に守られるように真ん中に安置された。村人たちは、手厚く世話をし、観音さまを心のよりどころにした。

 今も一年に二回、正月の二日とお盆明けの八月十七日、村のお年寄りが集まってご詠歌(ごえいか)を唱えお参りしている。

豊橋・福岡校区の民話
ラベル:豊橋
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2006年08月08日

民話「おしいばち」の背景を訪ねて2

民話「おしいばち」の背景に登場する、
植田町にある車神社(くるまじんじゃ)を、また訪ねました。

前回の訪問で、
「おしいばち」に登場する「ひきご塚」や、
「車神社古墳」の全景を見ることができなかったので、
それを見に行きました。
「車神社古墳」の全景?
「車神社古墳」の全景は、わかったのですが、
「ひきご塚」は、よくわかりませんでした。

これ↓かな??
車神社古墳

車神社古墳の碑
歴史に詳しいに教えたもらわないとダメかな?
posted by ハマちゃん at 13:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 豊橋の民話-場所・背景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月10日

民話「山の背くらべ」の背景を訪ねて

本宮山

民話「山の背くらべ」に登場する「本宮山」へ行ってきました。


本宮山の標高は、民話にも登場したように789m。
砥鹿(とが)神社の本宮(もとみや)が、この山上にあったことから名付けられ、別名、砥鹿山または本茂(もとしげ)山ともよばれています。

これからの季節、ハイキング客も多いようです。


私、「本宮山へ行った」とはいっても・・・

山登りはせず、そのふもとにある天然温泉「本宮の湯」へ直行しました(^^)
本宮の湯

正式名「ふれあい交流館 本宮の湯」は、
神経痛・筋肉痛などの効能があるそうです。

なかでも、「木霊の湯(こだまのゆ)」は湯に浸かりながら空を見上げることができ、リラックスできると人気のお風呂です。
posted by ハマちゃん at 18:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 豊橋の民話-場所・背景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月26日

でえたらぼうの股ずれ峠

 昔むかし、神代の時代のことだった。多米村の人たちから「でえだらぼう」とよばれる、雲を突くような大男がおった。

 そいつは、野に出てきては作物を荒らしたり、みんながいやがるような悪さばかりするので、村中の嫌われ者だった。
「でえたらぼうのやつめ、あの大きな図体と、怪力を、もっと世の中のため、人のために役立つことをしてくれたらみんな喜ぶのになあ」
「そうだなあ、悪さばかりしてないで、わしら百姓が喜ぶようなことをしてくれたら嬉しいのになあ」

 村人たちの願いも知らず、でえたらぼうはいたずら、悪さをくりかえしていた。

 あるとき、でえたらぼうは、何を思ったか、
「そうだ、駿河国(するがのくに)にある富士の山を日本一の高い山にしてやるか」
と、近江国(おうみのくに)は滋賀の琵琶湖の土をかきあげると、大きなモッコに入れ、「ウントコドッコイショ」と、天秤棒で担い、滋賀から駿河へと土を運んだ。その途中、三河国(みかわのくに)多米村の東はずれの峠をひとまたぎして、遠州湖西の知波田村へ向かおうとしたとき、ザザッと大きな音をたてて峠の山づらに、自分の股をすりつけてしまった。すると、峠の山が、ドドドドドッと、ものすごい音をたてて崩れ落ち、山のてっぺんが大きく窪んでしまった。

 その時、田植えをしていた多米村の人たちは、そりゃあ地震でも起きたかとびっくりして山の方を見あげたら、でえだらぼうが、大きなモッコをかつぎ、峠の山をひとまたぎに知波田村の方へと消えていくのが見えた。
「ありゃ何じゃ、でえだらぼうのやつ、何する気じゃ」
「でっかいモッコをかついで、どこに行く気じゃ。悪いことをせんでおくれ」

 村人たちが心配していた頃、でえだらぼうはニコニコ顔で、琵琶湖の土を富士山に積み上げていた。
「これでよし。わしが駿河国に、日本一の富士の山を作ってやったぞ」
と、大声で叫んだ。

 でえだらぼうが、峠越えをしたあたりの山頂は、でえだらぼうの股ずれによって大きく窪んでしまったが、三河から遠州へ、遠州から三河へと国ざかいを往来する人たちは、往来が楽になったと大喜び。村人たちは、いつしか、この峠を「股ずれ峠」と呼ぶようになった。

 でえだらぼう、だいだらぼう、だいだらぼっちなどと呼ばれる巨人伝説は日本全国あちこちにあるが、ここ豊橋にもたくさんの「だいだらぼっち伝説」が語りつがれ残されている。

豊橋・多米校区の民話
posted by ハマちゃん at 21:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 豊橋の民話集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月19日

しあわせ地蔵

 ある日のこと、おばあさんが重い鍬(くわ)で荒地を耕していた。
「ああー、こんきいなあ。掘っても、掘っても石ころばっかだ。開拓なんて、ちっともいいこたあない。この松もしぶといなあ」

 おばあさんは、しっかり根を張った小松を憎らしそうに見ながら、痛む腰をさすった。その時だった。松と松の間に何か光るものが見えた。
「何だやあ? 石みたいだが、こりゃ、大きいぞ!」

 鍬をほっぽり出したおばあさんはびっくりした。
「これは、地蔵さまではないか!」

 頭のあたりは、傷だらけで、顔もちょっと欠けているようだが、石ころではない。木の間からさしこんできた太陽の光を浴びて、ほんのりと温もっていた。
「おじいさん、地蔵さまだあ。うちの畠に地蔵さまが・・・」
「おいおい、だめだぞ。その地蔵にさわっちゃあいかん。たたりがあるで・・・」

 おじいさんは、目の色を変えて言った。
「たたり? 何かあっただかん?」
「ここに開拓が始まったころだがな、苦労続きでたいへんだった。その地蔵はどこから来たのか、大きな松の木の下にいたんだが、その枝を切っただけで、足が動かんくなったり、さわっただけで病気になったり、嫌われもんだっただ」

 おばあさんは、あちこち捨てられて来たと言うお地蔵さまをあわれに思った。
「おじいさん、みんなに相談しとくれん。わしゃあ、きちんと祀ってあげたいやあ」

 おじいさんは、周りの人たちに呼びかけ、何度も寄り合いを重ねた。
「お地蔵さまを粗末にすると、不幸がくるかもしれん」
「二百五十年も前のものだってよ。わしらのこと、何でもご存知だに」
「長い間、苦労してきたで、きっと強いお地蔵さまに違いないだよ」
「どうだん、みんながよく見えるところに移してお祀りせまいか」

 みんなの心が寄せ集まったお地蔵さまは、見晴らしのよい高台に置かれた。赤い帽子と赤い前だれのお地蔵さまも、秋の日を浴びてうれしそうに見えた。

 今日は、お地蔵さまに新しい性(しょう)を入れる日だ。
「夢にお地蔵さまが現れて『ありがとう』って言われたよ。お地蔵さまは、生きておられると思ったよ」
「よかったのん。これで、みんなに幸せがくるぞん。これからは、しあわせ地蔵と呼ぶまいか」

 願いがかなったおばあさんも、腰をのばし、ニコニコ笑っていた。

豊橋・大清水・富士見校区の民話
posted by ハマちゃん at 16:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 豊橋の民話集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

民話「おしいばち」の背景を訪ねて

車神社
民話「おしいばち」の背景に登場する、
植田町にある車神社(くるまじんじゃ)を訪ねました。

訪ねたといっても、本日は、場所確認程度です(^^ゞ

mikaさんに、コメントで詳しい場所を教えていただき、
ちょうど民話を載せてから、2か月目にして行くことができました。
ほんとうに、ありがとうございます。

車神社の案内板

行ってみると、車神社は「愛知県指定の有形文化財」であること。

車神社古墳という、古墳時代後期の前方後円墳があり、
後円部の上には、神社の本殿が建てられていることなどがわかりました。


今回の訪問では、
「おしいばち」に登場する「ひきご塚」や、
「車神社古墳」の全景を見ることができなかったので、
もう少し下調べをして、もう一度行ってみたいと思っています。
posted by ハマちゃん at 22:03| Comment(5) | TrackBack(0) | 豊橋の民話-場所・背景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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