2006年10月21日

民話「庄屋源吉」の背景を訪ねて

芦原校区市民館で活動されている「ロマン会」のみなさまにご案内していただき、民話「庄屋源吉」の背景を訪ねてきました。

ほんとうにありがとうございました。

庄屋源吉の頌徳碑というのは、豊橋市上野町にある「円通寺(えんつうじ)」にあることは知っていたのですが、お墓が豊橋市芦原町にある「奥谷寺(おうこくじ)」にあることを教えていただきました。

案内していただきながら、「奥谷寺」を訪ねると、芦原町あたりはそのむかし海で、吉原・豊田・尾崎氏が中心となって開拓しいまのようになったのだとか。

灯篭 金比羅大権現.jpg

海であったことの名残が、「金比羅大権現」と記された灯篭にもありました。

庄屋源吉の墓.jpg

そして、「庄屋源吉のお墓」を訪ねます。
古いお墓の前に、少し新しい「義民庄屋源吉之墓」と記された墓石が建てられていました。
古いお墓には、戒名のようなものが書かれているだけで、知った人にしか「庄屋源吉」のお墓とはわからないものです。
これは、直訴という大罪を犯したから、ひっそりと建てられたのではないか・・・ということでした。

奥谷寺の裏手にある、逆鉾(さかほこ)神社を訪ね、この地を中心になって開拓した、吉原・豊田・尾崎ら3氏のお墓を見にいきました。

芦原を開拓した方のお墓.jpg

お墓のある場所は、七曲りという坂を上った先にある芦原が一望できる高台にあり、当時、開拓の進み具合をここで眺めていた場所だといいます。

七曲りという坂には、道祖神も祀られていました。
(草にかくれて、なかなか見つけることができませんでしたが・・・)

七曲りの道祖神.jpg

そして、豊橋市上野町の円通寺境内にある「庄屋源吉頌徳碑」を訪ねました。
この碑は、昭和36年、高師校区民によって建立されたそうです。

庄屋源吉頌徳碑

いまは、義民として祀られる「庄屋源吉」ですが、
当時は、大罪を犯したということで、ひっそりと祀られていたようです。

歴史は、見直されることがあるのだな〜と、背景を訪ね感じました。
タグ:豊橋
posted by ハマちゃん at 18:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 豊橋の民話-場所・背景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
素敵な記事にしていただき、ありがとうございます。
自分の住んでいるところを改めて見直すことができ、こちらこそ感謝です。
今後もよろしくお願いします。
Posted by mika at 2006年10月21日 22:00
mikaさま
こちらこそありがとうございました。

今後ともよろしくお願いします。
Posted by ハマちゃん at 2006年10月23日 11:50
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