2006年06月26日

でえたらぼうの股ずれ峠

 昔むかし、神代の時代のことだった。多米村の人たちから「でえだらぼう」とよばれる、雲を突くような大男がおった。

 そいつは、野に出てきては作物を荒らしたり、みんながいやがるような悪さばかりするので、村中の嫌われ者だった。
「でえたらぼうのやつめ、あの大きな図体と、怪力を、もっと世の中のため、人のために役立つことをしてくれたらみんな喜ぶのになあ」
「そうだなあ、悪さばかりしてないで、わしら百姓が喜ぶようなことをしてくれたら嬉しいのになあ」

 村人たちの願いも知らず、でえたらぼうはいたずら、悪さをくりかえしていた。

 あるとき、でえたらぼうは、何を思ったか、
「そうだ、駿河国(するがのくに)にある富士の山を日本一の高い山にしてやるか」
と、近江国(おうみのくに)は滋賀の琵琶湖の土をかきあげると、大きなモッコに入れ、「ウントコドッコイショ」と、天秤棒で担い、滋賀から駿河へと土を運んだ。その途中、三河国(みかわのくに)多米村の東はずれの峠をひとまたぎして、遠州湖西の知波田村へ向かおうとしたとき、ザザッと大きな音をたてて峠の山づらに、自分の股をすりつけてしまった。すると、峠の山が、ドドドドドッと、ものすごい音をたてて崩れ落ち、山のてっぺんが大きく窪んでしまった。

 その時、田植えをしていた多米村の人たちは、そりゃあ地震でも起きたかとびっくりして山の方を見あげたら、でえだらぼうが、大きなモッコをかつぎ、峠の山をひとまたぎに知波田村の方へと消えていくのが見えた。
「ありゃ何じゃ、でえだらぼうのやつ、何する気じゃ」
「でっかいモッコをかついで、どこに行く気じゃ。悪いことをせんでおくれ」

 村人たちが心配していた頃、でえだらぼうはニコニコ顔で、琵琶湖の土を富士山に積み上げていた。
「これでよし。わしが駿河国に、日本一の富士の山を作ってやったぞ」
と、大声で叫んだ。

 でえだらぼうが、峠越えをしたあたりの山頂は、でえだらぼうの股ずれによって大きく窪んでしまったが、三河から遠州へ、遠州から三河へと国ざかいを往来する人たちは、往来が楽になったと大喜び。村人たちは、いつしか、この峠を「股ずれ峠」と呼ぶようになった。

 でえだらぼう、だいだらぼう、だいだらぼっちなどと呼ばれる巨人伝説は日本全国あちこちにあるが、ここ豊橋にもたくさんの「だいだらぼっち伝説」が語りつがれ残されている。

豊橋・多米校区の民話
posted by ハマちゃん at 21:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 豊橋の民話集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月19日

しあわせ地蔵

 ある日のこと、おばあさんが重い鍬(くわ)で荒地を耕していた。
「ああー、こんきいなあ。掘っても、掘っても石ころばっかだ。開拓なんて、ちっともいいこたあない。この松もしぶといなあ」

 おばあさんは、しっかり根を張った小松を憎らしそうに見ながら、痛む腰をさすった。その時だった。松と松の間に何か光るものが見えた。
「何だやあ? 石みたいだが、こりゃ、大きいぞ!」

 鍬をほっぽり出したおばあさんはびっくりした。
「これは、地蔵さまではないか!」

 頭のあたりは、傷だらけで、顔もちょっと欠けているようだが、石ころではない。木の間からさしこんできた太陽の光を浴びて、ほんのりと温もっていた。
「おじいさん、地蔵さまだあ。うちの畠に地蔵さまが・・・」
「おいおい、だめだぞ。その地蔵にさわっちゃあいかん。たたりがあるで・・・」

 おじいさんは、目の色を変えて言った。
「たたり? 何かあっただかん?」
「ここに開拓が始まったころだがな、苦労続きでたいへんだった。その地蔵はどこから来たのか、大きな松の木の下にいたんだが、その枝を切っただけで、足が動かんくなったり、さわっただけで病気になったり、嫌われもんだっただ」

 おばあさんは、あちこち捨てられて来たと言うお地蔵さまをあわれに思った。
「おじいさん、みんなに相談しとくれん。わしゃあ、きちんと祀ってあげたいやあ」

 おじいさんは、周りの人たちに呼びかけ、何度も寄り合いを重ねた。
「お地蔵さまを粗末にすると、不幸がくるかもしれん」
「二百五十年も前のものだってよ。わしらのこと、何でもご存知だに」
「長い間、苦労してきたで、きっと強いお地蔵さまに違いないだよ」
「どうだん、みんながよく見えるところに移してお祀りせまいか」

 みんなの心が寄せ集まったお地蔵さまは、見晴らしのよい高台に置かれた。赤い帽子と赤い前だれのお地蔵さまも、秋の日を浴びてうれしそうに見えた。

 今日は、お地蔵さまに新しい性(しょう)を入れる日だ。
「夢にお地蔵さまが現れて『ありがとう』って言われたよ。お地蔵さまは、生きておられると思ったよ」
「よかったのん。これで、みんなに幸せがくるぞん。これからは、しあわせ地蔵と呼ぶまいか」

 願いがかなったおばあさんも、腰をのばし、ニコニコ笑っていた。

豊橋・大清水・富士見校区の民話
posted by ハマちゃん at 16:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 豊橋の民話集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

民話「おしいばち」の背景を訪ねて

車神社
民話「おしいばち」の背景に登場する、
植田町にある車神社(くるまじんじゃ)を訪ねました。

訪ねたといっても、本日は、場所確認程度です(^^ゞ

mikaさんに、コメントで詳しい場所を教えていただき、
ちょうど民話を載せてから、2か月目にして行くことができました。
ほんとうに、ありがとうございます。

車神社の案内板

行ってみると、車神社は「愛知県指定の有形文化財」であること。

車神社古墳という、古墳時代後期の前方後円墳があり、
後円部の上には、神社の本殿が建てられていることなどがわかりました。


今回の訪問では、
「おしいばち」に登場する「ひきご塚」や、
「車神社古墳」の全景を見ることができなかったので、
もう少し下調べをして、もう一度行ってみたいと思っています。
posted by ハマちゃん at 22:03| Comment(5) | TrackBack(0) | 豊橋の民話-場所・背景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月06日

大玄和尚(だいげんおしょう)ときつね

 昔、高足村(高師)の高林庵(こうりんあん)に、いたずら好きの大玄という和尚がいた。ある日、和尚が南の浜の村に用事で出かけることになった。
 
 和尚は、草鞋(わらじ)を履き、大きな信玄袋を肩にかけ、朝早く寺を出ると、南の浜の村に向かって、てくてくと歩いて行った。やがて高師原から野依村を通り、南の浜へと続く赤土の道を進み、天伯(てんぱく)原の中ほどまで来たところで、小高い丘の上に立つと、
「今日は暑いわい。まだまだ先は長い、こちらで一服しよう」

 和尚は腰をおろすと、汗をぬぐいながら南の方を眺めた。
 
 天伯原は一面にススキや小笹が生い茂り、小松林が点在していた。ふと、足元の丘の下に目をやると、狐たちが我が物顔で野原を駆け回っていた。いたずら坊主が、これを見逃すはずがない(これはこれは、いたずら坊主におあつらえむきなやつらがいるわい)。和尚は、狐たちを驚かしてやろうと、信玄袋から法螺貝(ほらがい)を取り出すと、大空に向かって、「ブゥォー」と吹き鳴らした。狐たちは、大慌てに慌て、一目散に逃げだした。そんな狐たちの姿を見て、和尚は腹を抱えて大笑い。すっかり気をよくした和尚は、ふたたび南の浜の村に向かい、てくてく歩いて行った。
 
 用をすませた和尚は、朝来た道を折り返し、高足村に向かって帰りを急いだ。天伯原まで戻って来た時、急に日が落ち、あたりは真っ暗闇となり、先に進むことができなかった。途方にくれた和尚が、辺りを見まわすと、あっちの方にぽつんと一つ灯りが見えた。
「高林庵の坊主だが、すまんが今夜一晩泊めてくれ」

 すると、中から老女が出てきて、
「そりゃあいいが、夕方、家(うち)に死人(しびと)が出てのん、わしゃあ隣の家まで伝えに行ってくるんで、あんた留守番を頼まあ」
と言うと、さっさと出ていってしまった。和尚が、仕方なしに留守番をしていると、(ありゃりゃ)、死人がのこのこと布団からはい出し、和尚の方に近寄ってきた。和尚はびっくりして、一歩二歩と後ずさりした。すると、また寄ってくる。そんなことを繰り返しているうち、和尚は家の外に、谷川へと転がり落ちてしまった。

 和尚は腰を強く打ち、「痛てぇ」と大声をあげた。その時、あたりがぱっと明るくなり、そこは朝方、和尚が狐たちにいたずらをした場所だった。和尚は、自分が、狐たちに化かされ、見事に仕返しされたことに気がついた。
「こりゃあ見事に一本とられたわい。わしの負けじゃ。いたずらもほどほどにせぬと、思わずしっぺ返しを喰うわい」と、腰をさすりながら、高林庵に戻って行った。

豊橋・高師・芦原校区の民話
posted by ハマちゃん at 12:05| Comment(7) | TrackBack(0) | 豊橋の民話集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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