白須賀(しらすか)の郷(さと)から伊良湖の郷までの途中に、赤沢という小さな漁村がある。
今からおよそ六百五十年ほど前、赤沢村に、不思議なできごとが持ちあがった。一寸先もわからんほど暗い夜になると、海の中に奇妙な光が浮いたり沈んだりするようになった。
村人は気味悪がり、あたりが暗くなりはじめると急いで家へもどり、誰も外へ出ないようになった。
「あれは、何ずら? 恐ろしいことが起きにゃあいいが」
「漁ができんようになると困るなあ。どうしたらいいのか」
と困りはてていた。
やがて、漁へ出る人も少なくなり、地引き網でにぎわっていた村は、いつしかさびれ、人々の暮らしは苦しくなるばかりだった。村は、ひと気もなく静まりかえってしまった。また旅人まで、この話を聞き、街道を通らなくなってしまった。
この村に、久作(きゅうさく)という漁師が住んでいた。久作は、信心深く、毎日、欠かさず経を唱え、村人の仕事も快く手伝うので、「仏の久作」と、村中の評判だった。
ある夜のこと、久作は、「この村を元のようにしたいなあ」とつぶやいた。
「このままじゃあ、村が死んでしまう。思いきって海に出て、あの光るものをつかまえよう」とふるい立った。久作は、ひそかに船を浮かべ、沖へ沖へと漕ぎ出した。
やがて強い光を放っている場所に辿り(たどり)つくや、網を投げいれた。すると、ずっしりとした確かな手ごたえがあった。久作は、ゆっくり、ゆっくり網を手繰りよせ、光るものを船に引き上げた。
「おおっ。これは観音さまじゃあないか」
急いで家に戻ると、観音さまの身体をていねいに洗ってさしあげた。観音さまは、魚のはいったビクを左手に持ち、慈悲深いお顔をなさった魚籃観世音菩薩さまだった。久作は、思わず、
「観音さま、不漁つづきで、村の者たちみんなが困っとるだ。どうか、お力をお貸しください」
と、何度も拝んだ。久作は、観音さまを
仏壇にお祀りし、次の日から朝夕一心にお参りした。
すると、赤沢の海から奇妙な光は消え、村は元の暮らしを取り戻し、漁師たちは安心して漁に出るようになった。この話をきいた近隣の村々からも、「わたしらにも、観音様を拝ませとくれんさい」と久作の家を訪れるようになった。久作は、お参りの人がふえて部屋がせまくなったので、「普陀山慈照庵(ふださんじしょうあん)」を建て、観音さまをお移しした。
その後、明治十二年に眞龍院(しんりゅういん)に移された。毎年十一月三日、「魚籃観音祭り」の日に、各地から大勢の人々が集まり、観音さまの供養をつづけている。
豊橋・豊南校区の民話
posted by ハマちゃん at 07:42|
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