2007年06月02日

民話「でえたらぼうの股ずれ峠」の背景を訪ねて

民話「でえたらぼうの股ずれ峠」に登場する大男「ダイダラボッチ」。

民話の中にも、でえだらぼう、だいだらぼう、だいだらぼっちなどと呼ばれる巨人伝説は日本全国あちこちにあるが、ここ豊橋にもたくさんの「だいだらぼっち伝説」が語りつがれ残されている。

とありました。

その1つと思われる、豊橋市の北部、愛知県と静岡県の県境に連なる弓張山地にある石巻山の「ダイダラボッチの足跡(あしあと)」を見てきました!
ダイダラボッチの足跡

ダイダラボッチの足跡

石巻山の標高は358m。

山の中腹にある駐車場に車を止めて登ると、山頂までは徒歩で約20分と手軽に登れます。

石巻山には、昔、神の使いの大蛇だ住んでいたとされる「石巻の蛇穴(じゃあな)」などもありました。
石巻の蛇穴

石巻の蛇穴

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2007年04月06日

民話「二ノ午大祭の絵馬」の背景を訪ねて−その2

二ノ午大祭1

民話「二ノ午大祭の絵馬」の背景として登場する、豊橋市小松原町にある古刹、東観音寺(とうかんのんじ)を、訪ねました。

東観音寺では、民話に出てくるように、毎年旧暦の2月の「二の午」の日に、「二の午大祭」が開催されます。
今年(2007年)は、4月6日の金曜日でした。

二ノ午大祭2

この日、開運馬頭観音をお参りに訪れた人たちは、絵馬札を守護救済のお守りとして持ち帰るそうです。

馬頭観音は、畜生道に落ちた人の苦しみを救うための姿を現わした観音さまだとされ、今日では、交通安全の守護仏として、厚く信仰されています。

近年は、馬を飼われている方が少ないようなので、植木市のほうがメインになっているようです(^^)

植木市でにぎわう二ノ午大祭

【小松原山 東観音寺】
所在地 豊橋市小松原町字坪尻14
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2007年03月09日

民話「海に消えた皇子」の背景を訪ねて−その1

民話「海に消えた皇子」の背景として登場する、豊橋市牟呂町内で縁のありそうな場所を訪ねました。

民話にあった、こちらの記述。

御殿の裏に観音さまを祀り、深く信仰された。
この観音さまは、御殿の真後ろにあるということで、真裏口(ませぐち)の観音と呼ばれ、多くの人の信仰を集めた。
そこは村人ばかりか、遠くから大勢の人が訪れ、市(イチ)が立つほどとなり、そこを市道と呼ぶようになった。



ということで、まずは「真裏口(ませぐち)」の名の残るところを訪ねました。
(住所でもありますが・・・)

牟呂用水の上にかかる「真裏口(ませぐち)橋」

牟呂用水の真裏口(ませぐち)橋の上から

真裏口(ませぐち)橋


「真裏口(ませぐち)公園」です。

真裏口(ませぐち)公園

また、「市道のバス停」から、外神(とがみ)を眺めてみました。

市道のバス停から

この民話「海に消えた皇子」は、豊橋百科事典で「牟呂村の由来(民話)」という項目に載っています。

次回は、その記述にまつわるところを訪ねてみたいと思っています(^^)
ラベル:民話 豊橋 牟呂
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2007年03月08日

海に消えた皇子

 千二百年も前のこと。弥生三月、西風が激しく吹き荒れたため、沖で漁をしていた漁船が牟呂の陸地へ吹き寄せられていた。漁船に混じって一隻の不思議な形をした船があった。その船には、舳先(へさき)もなければ、艫(とも)もない。

 村人たちは、「船中から何か物音が聞こえる。人の話声が聞こえる」
と不審がった。その時、年老いた漁師が、
「これは話に聞くうつろ船だろう」
と言った。村人たちが、板を外してみると殿上人(てんじょうびと)と思われる若い男女二人と、年のいった女が一人、屈強な武士が二人の五人が乗っていた。

 一行は長らく海上を漂流していたとみえて、色は青く、やせ衰え、ものも言わず、ただ手を合わせ、涙を流し、
「我らは故ある者だが助けてくれよ」
と、願うばかりだった。

 牟呂の郷人(さとびと)たちは、どこの誰だか解らないが、とにかく、家につれて帰り、手厚く介抱した。一行はやがて元気を取り戻すと、ここに流れ着いた訳を話した。

 一行は、天武天皇(てんむてんのう)の皇子で開元親王(かいげんしんのう)と、官女と乳母(うば)、二人の家来だった。天皇は兄たちよりも文武ともに優れる第三皇子の開元王を、日頃より好ましく思わなかった。ある日、天皇の怒りに触れて皇子は流罪(るざい)となった。その時、四人の者も一緒にうつろ船に閉じ込められ、流されてしまった。

 話を聞いた村の者は、そのような立派な方を草家などではもったいないと、村長(むらおさ)に申し出て、大海津の南にあるひがき屋敷に新御殿を建て、皇子の住まいとした。村人たちは皇子を「開元王」と呼び、敬い慕った。

 皇子も大変に喜ばれ、御殿の裏に観音さまを祀り、深く信仰された。この観音さまは、御殿の真後ろにあるということで、真裏口(ませぐち)の観音と呼ばれ、多くの人の信仰を集めた。そこは村人ばかりか、遠くから大勢の人が訪れ、市(イチ)が立つほどとなり、そこを市道と呼ぶようになった。

 やがて皇子もお后を迎え、日常の生活にもゆとりができたので、宮路山に登ったり、舟遊びを楽しむようになった。そのような度々の外出や、近国(きんこく)の神主に官職を許可したり、多くの人が観音さまにお参りするようになったことが、国府(こくふ)の役人の知ることとなった。役人は、天皇の皇子であることに驚き、都にその報告をした。

 天皇は、開元王の振舞いを知り、怒って討手(うって)を差し向けた。それを知った皇子は見苦しい死に方はしたくないと、自分の死を覚悟し、村長にこれまでの礼を言うと、自ら海に入り、やがて波の間に隠れてしまわれたと伝えられている。


牟呂・汐田校区の民話
ラベル:豊橋 民話 牟呂
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2006年12月15日

民話「大根流し」の背景を訪ねて

大根流し

12月10日、豊橋市杉山町の真田神社で、「大根流し」があると聞き、行ってきました。


この「大根流し」は、民話「大根流し」にもあるように、江戸時代末期に吉田(現在の豊橋市)在住の幸助という男の夢の中で真田幸村公が現れ、そのお告げの通り、真田幸村公宛に川に大根を流すとゼンソクが全治したという伝説が始まり。


かつては、伝説のとおり神社近くの川にホンモノの大根を流していたが、いまでは、河川環境に配慮して、杉板に大根の絵を印刷した「お札」を浮かべるように変わり、また、開催日も従来は12日だったが、第2日曜日に変更したそうです。

真田神社ののぼり

この日、神社の付近では、案内ののぼりが立っていました。


午後2時すぎ、この「大根流し」にはじめて行ってみると、
神社の入り口で、大根の絵を印刷した「お札」を1枚200円でわけていただき、名前と生年月日を書き入れ、まずはお参り。

お参りの後、竹で堰きとめられた、水路にお札を浮かべました。

大根の絵を印刷した「お札」

はじめて、参拝しましたが・・・
時代とともに、おまつりのスタイルは変わるのだろうけれど、水路に浮かべる大根の絵の「お札」には、ちょっと違和感を覚えました。


“豊橋のことなら、この1冊で!”という『豊橋百科事典』によると、
幸助が見つけたのは、新平川(しんぺいがわ)という川だったと載っていました!


【真田神社の大根流し】
日時:毎年第2日曜 7:00〜16:30
開催場所:真田神社
交通:豊橋鉄道渥美線「杉山駅」下車徒歩10分

のようです。
ラベル:豊橋
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2006年12月13日

大根流し

 江戸時代の頃、吉田の宿に真田ひもを編んで暮らしをたてている幸助(こうすけ)という男がいた。幸助が生業(せいぎょう)としている真田ひもは、信州上田の郷で真田幸村(さなだゆきむら)公が領民に奨めて編ませたのが始まりだといわれている。
 
 幸助は真面目な男で、神仏を深く敬い、毎日を感謝しながら仕事に励んでいた。ただ、幸助は生まれつき喘息(ぜんそく)という病気を持っていたので、いつも咳をしていた。ことに秋から冬にかけては、はた目にも苦しそうだった。
「幸助さん、今日のあんばいはどうだん。すこしはましかん」
と仕事へ行く人々が声をかけてくれたが、ひどいときは、返事もできず、背中を丸めて激しく咳きこんでいることもあった。

 ある年の暮の十二日のことだった。その日、幸助はなんだかとても心地よく、冬には珍しい暖かな陽差しにつつまれて部屋に座っていた。なんだか、今日は不思議な日だなぁと思っていると、正面の襖(ふすま)が開いて、一人の立派な武将が部屋に入ってきた。幸助は何事だろうと、ただただ驚いて見ていると、それは日ごろから敬っている幸村公ではないか。突然の出来事にびっくりして額を床にすりつけ、ひれ伏していると、幸村公は、
「幸助、お前が喘息の持病で苦しんでいるのを本当に気の毒に思っている。お前はいつも正直に、真面目に仕事に励み、神仏への信心も厚く感心しておる。それに報いて、わたしが難病を取り除いてやろう。病を除くには、天の水と地の水が合流し、東南より東北に流れて、途中二つ以上の橋をくぐって海に流れこむ川を探しあて、その川に自分の名前と真田幸村様行きと書いた大根を流すことじゃ。そうすれば喘息はたちまちなおるであろう」
と言われると襖の奥へ消えていった。

 幸助は、不思議なできごとに、恐る恐る顔をあげてあたりを見回すと、いつもの住み慣れた自分の家にいるではないか。よくよく考えてみると、発作の苦しさから逃れようと一心に祈っていて気を失い、倒れていたようだ。幸助は、お告げの場所を探しだそうとあちこち歩き回り、杉山村でお告げの川を探し当てた。そこで教えられたとおりに大根を流したところ、あれほど長い間苦しんでいた喘息の発作が二、三日すると嘘のようになくなった。

 この噂を聞き、喘息に苦しむ人たちが大根をもって、この地にお参りにくるようになった。また、村の人たちも信州上田村の真田神社から神霊をお迎えし、真田神社を建立し、毎年十二月十二日に加持祈祷(かじきとう)のお祭が行われるようになった。

[注]真田神社(豊橋市杉山町字下泉)

豊橋・杉山校区の民話
ラベル:豊橋
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2006年12月07日

創作劇『梅田川物語 庄屋源吉』上演

庄屋源吉チラシ

とよはし100祭の高師校区のイベントで、高師校区の郷土の義民『庄屋源吉』を題材にした創作劇『梅田川物語 庄屋源吉』が、
12月2日午後6時30分からと12月3日午後1時30分からの2回上演されました。

12月2日の午後6時30分から公演を観てきました。

12月1日の中日新聞にも載っていましたが、
舞台に立っている人たちは、校区の素人さんたちというわりには、セリフはしっかりとして、堂々とした演技!

劇団豊橋演劇塾の協力で何ヶ月も練習をしてきただけありました。

題材になっている『庄屋源吉』は、250年ほど前の高足村(現高師校区)に実在した人物。
凶作や年貢の重圧に苦しむ村人のために、藩にその窮状を訴えた罪で投獄されたのです。
村人たちの助命運動により、死罪は免れたものの、5年もの獄中生活のため体をこわし、25歳の若さで病死しました。

庄屋源吉の舞台

という、民話で読んだ『庄屋源吉』が、どのように演出されるのかを楽しみにしながら鑑賞しましたところ、
「畑ヶ田」の検見(けんみ)の際に、野依橋の上で、「急に腹痛をもよおした」なんてエピソードも入れられ、おもしろかったです。
ラベル:豊橋
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2006年11月15日

魚籃(ぎょらん)観音

 白須賀(しらすか)の郷(さと)から伊良湖の郷までの途中に、赤沢という小さな漁村がある。

 今からおよそ六百五十年ほど前、赤沢村に、不思議なできごとが持ちあがった。一寸先もわからんほど暗い夜になると、海の中に奇妙な光が浮いたり沈んだりするようになった。

 村人は気味悪がり、あたりが暗くなりはじめると急いで家へもどり、誰も外へ出ないようになった。
「あれは、何ずら? 恐ろしいことが起きにゃあいいが」
「漁ができんようになると困るなあ。どうしたらいいのか」
と困りはてていた。

 やがて、漁へ出る人も少なくなり、地引き網でにぎわっていた村は、いつしかさびれ、人々の暮らしは苦しくなるばかりだった。村は、ひと気もなく静まりかえってしまった。また旅人まで、この話を聞き、街道を通らなくなってしまった。

 この村に、久作(きゅうさく)という漁師が住んでいた。久作は、信心深く、毎日、欠かさず経を唱え、村人の仕事も快く手伝うので、「仏の久作」と、村中の評判だった。

 ある夜のこと、久作は、「この村を元のようにしたいなあ」とつぶやいた。
「このままじゃあ、村が死んでしまう。思いきって海に出て、あの光るものをつかまえよう」とふるい立った。久作は、ひそかに船を浮かべ、沖へ沖へと漕ぎ出した。

 やがて強い光を放っている場所に辿り(たどり)つくや、網を投げいれた。すると、ずっしりとした確かな手ごたえがあった。久作は、ゆっくり、ゆっくり網を手繰りよせ、光るものを船に引き上げた。
「おおっ。これは観音さまじゃあないか」

 急いで家に戻ると、観音さまの身体をていねいに洗ってさしあげた。観音さまは、魚のはいったビクを左手に持ち、慈悲深いお顔をなさった魚籃観世音菩薩さまだった。久作は、思わず、
「観音さま、不漁つづきで、村の者たちみんなが困っとるだ。どうか、お力をお貸しください」
と、何度も拝んだ。久作は、観音さまを仏壇にお祀りし、次の日から朝夕一心にお参りした。

 すると、赤沢の海から奇妙な光は消え、村は元の暮らしを取り戻し、漁師たちは安心して漁に出るようになった。この話をきいた近隣の村々からも、「わたしらにも、観音様を拝ませとくれんさい」と久作の家を訪れるようになった。久作は、お参りの人がふえて部屋がせまくなったので、「普陀山慈照庵(ふださんじしょうあん)」を建て、観音さまをお移しした。

 その後、明治十二年に眞龍院(しんりゅういん)に移された。毎年十一月三日、「魚籃観音祭り」の日に、各地から大勢の人々が集まり、観音さまの供養をつづけている。

豊橋・豊南校区の民話
ラベル:豊橋
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2006年10月23日

民話「おしいばち」の背景を訪ねて その3

フグの森

民話「おしいばち」に登場する、
植田町にある「フグの森」を、ロマン会のみなさまに案内していただき訪ねました。

「フグの森」は、民話「おしいばち」に登場する
六人の神々が、飢えと寒さに震えながら、やっとたどり着いたといわれる場所だそうです。

行ってみると、鳥居はあるものの
「えっ! ここが神社なの?」というようなところで、
案内してもらわなければ、きっと見つけることができない場所でした。

またまた勉強になりました。
ロマン会のみなさんありがとうございます。
ラベル:豊橋
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2006年10月21日

民話「庄屋源吉」の背景を訪ねて

芦原校区市民館で活動されている「ロマン会」のみなさまにご案内していただき、民話「庄屋源吉」の背景を訪ねてきました。

ほんとうにありがとうございました。

庄屋源吉の頌徳碑というのは、豊橋市上野町にある「円通寺(えんつうじ)」にあることは知っていたのですが、お墓が豊橋市芦原町にある「奥谷寺(おうこくじ)」にあることを教えていただきました。

案内していただきながら、「奥谷寺」を訪ねると、芦原町あたりはそのむかし海で、吉原・豊田・尾崎氏が中心となって開拓しいまのようになったのだとか。

灯篭 金比羅大権現.jpg

海であったことの名残が、「金比羅大権現」と記された灯篭にもありました。

庄屋源吉の墓.jpg

そして、「庄屋源吉のお墓」を訪ねます。
古いお墓の前に、少し新しい「義民庄屋源吉之墓」と記された墓石が建てられていました。
古いお墓には、戒名のようなものが書かれているだけで、知った人にしか「庄屋源吉」のお墓とはわからないものです。
これは、直訴という大罪を犯したから、ひっそりと建てられたのではないか・・・ということでした。

奥谷寺の裏手にある、逆鉾(さかほこ)神社を訪ね、この地を中心になって開拓した、吉原・豊田・尾崎ら3氏のお墓を見にいきました。

芦原を開拓した方のお墓.jpg

お墓のある場所は、七曲りという坂を上った先にある芦原が一望できる高台にあり、当時、開拓の進み具合をここで眺めていた場所だといいます。

七曲りという坂には、道祖神も祀られていました。
(草にかくれて、なかなか見つけることができませんでしたが・・・)

七曲りの道祖神.jpg

そして、豊橋市上野町の円通寺境内にある「庄屋源吉頌徳碑」を訪ねました。
この碑は、昭和36年、高師校区民によって建立されたそうです。

庄屋源吉頌徳碑

いまは、義民として祀られる「庄屋源吉」ですが、
当時は、大罪を犯したということで、ひっそりと祀られていたようです。

歴史は、見直されることがあるのだな〜と、背景を訪ね感じました。
ラベル:豊橋
posted by ハマちゃん at 18:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 豊橋の民話-場所・背景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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